あるテーマを与えられ、文章を書くことになったとする。
大きなゴールを設定すればするほど、
そういう時はつい、「本質を表現しよう」「良い文章を書こう」と肩に力が入るが、
「最初の1文字」を書きはじめることが難しくなる。
「文章を書きはじめる」
これほど難しいことが世の中にあるだろうか。
だって、考えてもみてほしいのだけど、
最初に「あ」と書いてもいいし、「い」と書いてもいいし、
「私」と書いてもいいし、「君」と書いてもいい。
自分の考え次第で何を書いてもいいのだ。
無限の自由ほどこわいものはない。
「読む人を感動させてやるぞ!」と意気込んでみたとしても、
「あ」から始めれば人を感動させられるのか
「い」から始めれば人を感動させられるのかは、
書きはじめた時点では判断ができない。
判断できないのに、何かは書かなきゃいけない。
アホみたいな話だけど、初めてそのことに気づいた時、
僕は足が震えそうになった。
だから結局、「とりあえず何でもいいから書きはじめるしかない」という
半ばやけくそな態度で文章を書き出すことになる。
でも、「とりあえず書きはじめる」という態度で書きはじめた文章が
うまくまとまればいいのだが、
ある程度の分量を書いた段階で
「あれ?ちょっとうまくいかないかも・・・」と今さらながら気づくこともある。
で、もう一度新しい文書を書きはじめる。その繰り返し。
よく、昔の映画とかで作家が原稿用紙に向かい、
「書いては捨て」を何度も繰り返して
机の周りがくしゃくしゃに丸められた
原稿用紙でいっぱいになる、というシーンがあるが、
その状態に陥ることはよくある。
そうならないためには、やっぱり、
書き出しにこだわる必要があるだろう。
でも、振り出しに戻るが、
とりあえず何かを書き出さないと、まったく文章が進んでいかない。
この、大いなるパラドックス!
それを打ち破る方法として、私がたどり着いた答えは、
「大まかな構造だけ決めて書きはじめてみる」という方法だ。
たとえば大まかに「日本の新卒一括採用は間違っている」
というテーマを設定したとする。
そのテーマを成立させる構造を考えてみたい。
文章の構造にはいろんな形があるが、
その中でもとにかく書きやすいのが、
「結論を先に言ってしまう法」だ。
たとえば、
「今の日本は受験競争が過熱しすぎている」
ということが結論だとすると、
その結論を最初に述べた上で、
・その結論(受験加熱)には、たとえばAという理由がある
・他にもBという理由がある
・さらにCという理由もある
と詳細を書き連ねる方法だ。
この方法なら伝える内容がブレる心配がないし、
「起承転結」を考える必要もない。
しかし、その一方でデメリットもある。
それは、「話が深まりにくいこと」だ。
そりゃそうだ。最初に結論が述べられているわけだから、
それ以上の新たな気づきを与えることは容易ではない。
となると、別の構造も試してみたくなる。
たとえばどんな構造があるのか。おすすめなのが、
「not A but B」の構造を使うことだ。
「AではなくBである」という構造。
「日本の新卒一括採用は間違っている」と書きはじめて、
・具体的には○○や○○のような状況がある
と例を出す。ここまでは先ほどの
「結論を先に言ってしまう法」と同じ。
違うのは、その後、「しかしBです」と話をひっくり返すことだ。
「日本の新卒一括採用は間違っている」
のあとに、「しかし」とつなげる。
「しかし、一括採用があるからこそ、経験値に関係なく学校卒業時点でチャンスが与えられる。実は新卒一括採用は、雇用機会の平等を保つことにつながっているのだ」
のような形にする、ということだ。
そうすることで、
A「日本の新卒一括採用は間違っている」
B「しかし、一括採用があるからこそ、チャンスが平等になる」
という2つの視点を読み手に示すことができる。
ここで一番言いたいことは、「実はBが真実です」の部分。
「実は○○」という気づきが生まれることが重要だ。
この、「not A but B」の構造は、いろんな形に応用できる。
たとえば、
「新NISAが始まって、投資を始める人が増えました」の後に、
「でも、実際は○割の人が運用益を得られていません。ブームだからと安易に新NISAを始めるのではなく、自分できちんと勉強した上で投資を始めましょう」
と続ければ、新NISAについて単純に「肯定」だけでなく、
「もっと深く知ろうね」という
一段深掘ったメッセージを伝えることができる。
誰もが言いそうな「一般論」って、とにかく気づきがないんですよね。
それと反対のことを言ったり、意外な視点を付け足したりすると、
「深い意味のある文章」にしやすくなる。
話し言葉の場合も同じだ。
たとえば高校サッカーの監督が、
「優勝おめでとう。90分間よく頑張った」
だけだと、当たり前のことを言っているだけだ。
その後で「but」を続けるとコメントが深いものになる。
「でも、優勝は君たち選手だけで成し遂げたことではない。支えてくれたマネージャー、
試合に出られなかった下級生、毎日お弁当を作ったりしてくれた親御さんなど、
多くの人の力によって優勝できたことを忘れないでほしい」
などと選手に言えば、「この監督、いろんな人の気持ちが分かってて素晴らしい!」
みたいな印象になるだろう。
「not A but B」に限らず、文章でよく使う構造というものがいくつかあるが、
その構造を取り入れることによって、
「文章の大まかなゴール」を頭に描くことができる。
なんだか分からないけど無理矢理書きはじめるのに比べれば、
着地地点が明確になりやすく、はるかに失敗が少ない。
『「not A but B」の構造で書こう』などと構造が決まった瞬間、
一歩前進した気になれる。それが最大のメリットだと思う。
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